プロフィール

渾沌堂主人。

Author:渾沌堂主人。
無皇隆日の明るい社会っていいですよね。

万物斉同だから、差別など、病気ですは。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
内藤朝雄の論説で「中間集団全体主義」。

・・・・・・・・・・

 日本社会は、中間集団全体主義の編成をとってきた。中間集団全体主義とは、次のようなものだ。

各人の人間存在が共同体を強いる集団や組織に全的に埋め込まれざるをえない強制傾向が、ある制度・政策的環境条件のもとで構造的に社会に繁茂している場合に、その社会を中間集団全体主義社会という。(拙著『いじめの社会理論』柏書房、同『いじめの構造』講談社現代新書)

 戦前の日本は総力戦をめざすあたりから、国家の全体主義と中間集団全体主義の双方が強大になった。大日本帝国は満州を侵略し、そこでナチス・ドイツ(右翼系全体主義)と旧ソ連(左翼系全体主義)の社会編成方式を取り入れた純度の高い社会統制「実験」を行い、これをできるかぎり日本全体にいきわたらせようとした(代表的な人物が、あの、岸信介である)。これが現在にいたる「日本的経営」の起源となる。この戦前の原形が戦後冷戦構造下の激しい労使対立を媒介して、労使共に中間集団全体主義に収斂する方向に「磨きあげ」られた。この収斂が満州の「社会実験」以上の成果――昭和の高度経済成長期にだけ経済的繁栄に寄与し、現在では害、無駄、残酷のもとである「日本的経営」――をもたらした。(たとえば、小林英夫他『「日本株式会社」の昭和史』創元社)。
 また、現在にいたる、日本の学校の強烈な集団主義の源流のひとつは、上記総力戦のための、いわゆる「軍国主義」と呼ばれる、右翼系全体主義の社会編成にある(この情景を中沢啓治『はだしのゲン』〔中公文庫、汐文社など〕がみごとに描いている)。もう一つの源流は、戦後の一時期、冷戦構造のなかで強大なカウンター勢力となった左翼系全体主義の集団主義である(マカレンコ『マカレンコ全集』〔明治図書〕、竹内常一『生活指導の理論』〔明治図書〕などにみられる論理形式が、『国体の本義』〔文部省教学局〕、『臣民の道』〔文部省教学局〕などの論理形式と酷似している、というよりも、同形であることに驚かされる)。当時の活動的な人々の信念体系を独占する右翼系全体主義と左翼系全体主義の構造的カップリングが中間集団全体主義に収斂するエスカレートが、日本の学校の集団主義の原形をつくったと考えられる(これは筆者のオリジナルな仮説である。これについては現在執筆中の『学校とは何か』〔仮題、ちくま新書〕で詳しく論ずる予定である)。


・・・・・・中略・・・・・・

 だが敗戦後の日本は、国のテーマを総力戦から経済的繁栄に移して、(軍部と天皇を主役から外し)学校と会社を基盤とする中間集団全体主義をさらに大きく展開し、極端なまでにエスカレートさせてきた。こうして日本は、会社と学校が、生活を隅から隅までおおいつくし、人間を奥深くから、容赦なく会社の色や学校の色に染め上げる社会になった。いわば、中学生は学校の共同体奴隷になり、労働者は会社の家畜(「社畜」)になったのである。
 戦後日本の中間集団全体主義は、便宜的に選択される束縛の項目やその程度に増減があっても、長期的に変わっていない。
 企業は、従業員の生活に介入し、学童を「しつける」ように細かな「生活指導」をし、徹底的な人格支配を「あたりまえ」に行う。
 バブル崩壊以前は、ある程度以上の規模の企業は、会社員を社宅に住まわせることが多かった。そこでは、しばしば、会社員の妻は上司の妻の家来か召使いのように扱われ、運動会やサークル活動も社内で行わなければならないといったことがあった。会社員の妻が、社外のサークルに参加したところ、総務部から「やめさせなさい」と命令されるといったことが報告されている(木下律子『妻たちの企業戦争』径書房↓社会思想社)。バブル崩壊後、企業は社員を囲い込むための社宅をまかなう資金がなくなった。だが、企業にあらわれる中間集団全体主義の姿は現在にいたるまで同一である。社宅ほど費用のかからない手段を用いて、同じ中間集団全体主義がいつまでも続く。
 上記『妻たちの企業戦争』(径書房1983年、雑誌記事初出は1981年なので、できごとが起きたのは1970年代かそれより以前)、熊沢誠『民主主義は工場の門前でたちすくむ』(田畑書店1983年↓社会思想社)、渡辺一雄『会社のここだけは知りなさい』KKベストセラーズ1989年、横田濱夫『はみだし銀行マンの勤番日記』オーエス出版1992年、宮本政於『お役所の掟』講談社1993年(会社ではなく役所のケース)、今野晴貴『ブラック企業』文春新書2012年、山下和馬『ロスジェネ社員のいじめられ日記』文藝春秋2014年、今野晴貴『ブラック企業2』文春新書2015年……と、年代ごとにドキュメントを読み進めても、職場にあらわれる中間集団全体主義の基本構造は同じである。
 中間集団全体主義の基盤となる企業の特徴は、メンバーシップ型雇用である。そこでは構造的に、次のような現実感覚がいきわたる。

良い商品や良いサービスを市場に提供して収益を上げることよりも、ひとりひとりの社員が、人格の深いところから会社のメンバーとして染め上げられた会社のモノであることを、仲間内で示し合う努力(そのようなフリをする精神的な売春に耐えること)が働くことである。

 この現実感覚は、企業を生産の場というよりも人間関係の政治の場にする。そして派閥や属人主義という企業にとって破壊的な要素が大きくなる。
 2020年4月9日付『朝日新聞デジタル』は、パナソニック産機システムズの人事課長が内定者にSNSで口汚い罵倒をくりかえし、自殺に追い込んだ事件を報道している。
 記事には、「人事課長は書き込みが少ないといった理由で内定者をSNSから排除したり、『無理なら辞退してください、邪魔です』などと内定辞退に言及したりしたほか、『ギアチェンジ研修は血みどろになるぐらいに自己開示が強制され、4月は毎晩終電までほぼ全員が話し込む文化がある』などと入社後の過重労働を示唆したりしていたという」とある。
 会社員が「社畜(会社の家畜)」と呼ばれる日本企業では、罵詈雑言やいわゆる「洗脳研修」による人格支配は、ありふれた光景である。
 このケースで注目すべきことは、パナソニック産機システムズは産業機械の会社であるにもかかわらず、報じられた人事課長によるハラスメント言動のなかに「機械」という語がみあたらないことである。示唆された「過重労働」のなかみは、徹底的に告白をさせられるとか、「お話し会」を延々とやらされるといったことであって、機械を扱う本物の労働ではない。被害者を自殺に追い込むほど過重だったのは、労働ではなく、他人から態度や心をいじくりまわされる奴隷ごっこだったのである。
 もちろん、このような研修をしても企業の収益にはならない。新入社員を会社の色に染め上げる奴隷ごっこに熱中しているだけである。日本企業の生産性が低いのは、こういうことをしているからでもある。
 中間集団全体主義は、人格支配の徹底なくしては成立しない。人間を、いわば魂の深いところから会社と学校の奴隷にしなければ「日本的経営」や「日本的集団主義教育」を維持することはできない。
 人間の尊厳という価値を基準にすれば、中間集団全体主義の社会編成は、あってはならない。それは有害で残酷である。人間を会社と学校の奴隷のような状態におとしめることは、人権侵害どころか、人道に反する犯罪であると言ってもよい。
 しかし、これまで中間集団全体主義は、経済的繁栄に大きく寄与するという理由で、「しかたがない」とされることが多かった。現在でも、このように誤解している人は多い。
 メンバーシップ型雇用によって「人間丸ごと」が会社に吸収され、長時間労働、過労死リスク、サービス残業といった災いが降ってくる生活は、従業員に大きな犠牲を払わせる。そこでわたしたちは、従業員にこれだけ大きな犠牲を払わせるの「だから」、企業はよっぽど大きな収益をあげているのだろう、そして、よっぽど経済効率がよいのだろう、と想像してしまう。
 だが、事実は、正反対である。
日本生産性本部「労働生産性の国際比較2019年」によると、日本の時間あたりの生産性は、OECD36カ国中21位であり、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ、日本の主要先進7カ国中では最下位である。
 日本の経済は、近年、驚くほど小さくなっている。
 このことをビジュアルに示す動画がある。これは、世界の富のなかでそれぞれの国が何割を占めているかを、1985年から2015年までの時間の流れにそって動画で示したものである。
https://howmuch.net/articles/world-economy-as-a-living-organism
 その2019年分が以下である。
https://howmuch.net/articles/distribution-worlds-wealth-2019
 これを見ると、日本の経済が、すさまじい勢いで転落の一途をたどっていることがわかる。
 IT化、グローバル化などで、世界の産業と経済は大きく変わった。どのようにすれば収益があがるかという様式が変わった。だが、日本の社会編成、すなわち企業経営(社畜制)と学校教育(集団奴隷制)を基盤とする中間集団全体主義は、変わることができなかった。高度経済成長期には経済的繁栄につながったかもしれない特殊な社会編成が、新しい地球規模の経済システムのなかで、桎梏(手かせ足かせ)になってしまった。そして現在、日本の経済は坂を転がり落ちるように縮小している。
 ここに至って、中間集団全体主義をとる日本の社会編成は、①人間を不幸にする(会社と学校の共同体奴隷にする)、かつ、②人間を貧乏にする(現行の資本主義に適合しないので、お金がもうからない)、という二重の罪科によって、いわば死刑判決を下されたといってよい。あるいは、①人間の尊厳価値と、②経済的繁栄価値の両方からノックアウト負けを宣言されたともいえる。
 だが、それにもかかわらず、冒頭で述べた社会の復元力が、無駄で、有害で、残酷なしくみを残存させてきた。
 そこに新型コロナウィルスが突き刺さった。それは、非接触というしかたで社会編成を変えなければ多くの人が死ぬという事態を突きつけた。
 ここで、日本が戦争に負けたときのことを考えてみよう。日本は、戦争に負けても負けなくても、極端に貧しい小作人と地主という社会のしくみを変えなければならなかった。女性参政権も必要だった。だが、社会が硬直していてそれができなかった。
 もちろん、戦争に負けるという悲惨はないほうがよいに決まっている。しかし戦争に負けるマイナスに付随するプラスは進める必要がある。貧乏な小作人が娘を身売りすることがなくなり、女性が参政権を手にしたのは、アメリカとの戦争に負けたおかげだ。戦争に負けなければ、このようなよいことは起こらなかった。


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

>冒頭で述べた社会の復元力が、無駄で、有害で、残酷なしくみを残存させてきた。

天皇は中間集団全体主義でないと存在できない「吸血鬼」なのである。

>中間集団全体主義は、人格支配の徹底なくしては成立しない。人間を、いわば魂の深いところから会社と学校の奴隷にしなければ「日本的経営」や「日本的集団主義教育」を維持することはできない。

まさにカルト宗教である。


本気で、中間集団全体主義でつぶすには、天皇を抹殺しなければならない。

理由を載せときます。


上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
天皇の戦争責任とは何か

【昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記】
 昭和天皇が戦後、戦争への後悔や退位の可能性に繰り返し言及していたことが、19日公開された初代宮内庁長官の故田島道治による昭和天皇との詳細なやりとりを記した資料から明らかになった。戦前の軍隊を否定しつつ改憲による再軍備の必要性にも触れた政治的発言を、田島がいさめた様子が残されていた。資料は手帳やノート計18冊。田島は「拝謁記」と題していた。
 拝謁記には、軍部が暴走した張作霖爆殺事件(1928年)や、青年将校による二・二六事件(36年)、太平洋戦争などに関する昭和天皇の回想が登場する。
(8月19日、共同通信)

残念なことに貴重な歴史資料である「拝謁記」は準国営報道機関であるNHKの手に落ちてしまい、今後全文が公開されるのか分からない状態にある。その報道も都合の良いところをつまみ食いした形になっており、にわかには信じられない内容になっている。

その主旨の一つは「昭和帝は反省していた」というものだが、何について反省し、誰に対して表明しようとしていたのかについては明確では無い。そして、「天皇が謝罪すると、天皇に責任があったことになってしまうから、公式謝罪はダメだ」という結論になっている。
果たしてこれは美談なのだろうか。そんなわけは無いだろう。

過去ログを引用しながら考えてみたい。
近代の絶対王政は、国王が一身に国防の義務を担い、それを果たすために軍事権や外交権の占有が認められている。
しかし、国王が軍事権と外交権を専横するとなると、あっという間に財政が破綻してしまい、税を搾り取られるブルジョワジーが保たないという話になり、「まずは課税権だけでも制限して、新規課税は議会を通してもらおう」として誕生したのが近代議会だった。
その議会が上手く機能せず(あるいは気に入らないからと)、弾圧しようとして勃発してしまったのが清教徒革命であり、フランス革命だった。

大日本帝国軍のあり方を見てみよう。大日本帝国憲法の記載はシンプルだった。
天皇は、陸海軍を統帥する。(第11条)

日本臣民は、法律の定めるところに従い、兵役の義務を有する。(第20条)

ここから分かるのは、天皇が唯一の統率権(軍事大権)を有することと、主権を持たない臣民が兵役義務を負っていた点だけであり、軍隊が誰のために何を目的として設置されているのか分からない。ところが、明治帝政においては、現代日本の「自衛隊法」やロシアの「国防法」のような根拠法や基本法が存在しないため、法律に根拠を求めるのも難しい。そこで傍証的に、まず軍人勅諭を見ることにしたい。原文は長文の上、旧字体ばかりで文字化けするので、現代文で抜粋代用する。

朕は汝ら軍人の大元帥である。朕は汝らを手足と頼み、汝らは朕を頭首とも仰いで、その関係は特に深くなくてはならぬ。朕が国家を保護し、天の恵みに応じ祖先の恩に報いることができるのも、汝ら軍人が職分を尽くすか否かによる。国の威信にかげりがあれば、汝らは朕と憂いを共にせよ。わが武威が発揚し栄光に輝くなら、朕と汝らは誉れをともにすべし。汝らがみな職分を守り、朕と心を一つにし、国家の防衛に力を尽くすなら、我が国の民は永く太平を享受し、我が国の威信は大いに世界に輝くであろう。

ここから分かるのは、天皇は唯一の国家守護者であり、軍隊は天皇の守護責任を補佐するための道具であるという考え方だ。その前の文では、長期にわたって武家に預けていた(奪われていた)軍事権が天皇に帰したことを受けて(明治維新)、二度と軍事権が他者に渡らないようにするという誓いが立てられている。
これは近代絶対王政の考え方で、王権神授説に基づき天皇が統治権と軍事権を占有するとともに、国防の責務を負うというもので、臣民は天賦の軍事権を占有する国王の責務を全うする道具として兵役徴集されることになる。言うなれば、「人民のものは王のもの、王のものは王のもの」というジャイアニスムである。
ただし、軍人勅諭は西南戦争後の近衛兵の反乱を受けて、軍を戒めて統率を厳にすることを目的につくられた経緯があり、天皇個人への忠誠が強調されていることは否めない。だが、他に軍の存在意義を規定する法律が存在しないために、軍人勅諭の内容がデフォルトになってしまったことも確かだ。例えば、明治5年の徴兵令には、「四民平等を実現するために全国で募兵した陸海軍を作ることになった」旨が書かれており、フランスやオランダ寄りの民主的要素をわずかに感じ取ることが出来る。

話を整理すると、明治帝政下では、無答責(責任を問われない、憲法第3条)の天皇が国防の義務を有しつつ、軍事大権を占有、帝国臣民は天皇が負っている義務を全うするために奉仕すべく義務兵役が課されていた。つまり、天皇=国家であり、臣民はこれに奉仕する道具に過ぎず、帝国軍は天皇の私軍であると同時に国軍という位置づけだった。例えば、日露戦層の開戦詔書には、

朕茲に露国に対して戦を宣す。朕か陸海軍は宜く全力を極めて露国と交戦の事に従ふへく朕か百僚有司は宜く各々其の職務に率ひ其の権能に応して国家の目的を達するに努力すへし。

とあるが、要は「朕(天皇)はロシアに宣戦布告したから、朕の陸海軍は国家目的を達成するよう全霊努力せよ」ということである。第二次世界大戦も同様で、天皇の名において宣戦布告し、天皇のプライベート・アーミーが全アジアを廃墟と絶望の淵へと追いやったわけだが、天皇が戦争責任に問われることはなかった。そして、休戦条件として軍の武装解除が、天皇免責の代償として軍事権の放棄がなされたはずだったにもかかわらず、国際情勢の変化を受けてわずか数年で「自衛隊」という形で復活するに至った。

以上で重要なことは、大日本帝国憲法は西欧の絶対王政に倣って天皇に軍事権と外交権を帰属させた。これは欧州の法律解釈に倣えば、天皇が国防義務を担い、それを果たすために軍事権と外交権を有するということになる。だが、実際の運用については輔翼者の助言の下に駆使するとされ、外交権については外務大臣、軍事権については参謀総長などが輔翼者となった。そのため、天皇は最終責任を負わず、輔翼者は天皇に対して責任を負う立て付けとなった。
ここで重要なのは、輔翼者の責任はあくまでも助言者としての責務であり、国防の義務自体は天皇にあるということである。
敢えて補足しておくが、戦前の法体系において国防の義務は天皇にあって、臣民は義務を担っておらず、天皇が果たすべき義務に対して忠実に従うことのみが求められた。それが特攻のような自殺攻撃の根拠となっていく。

古来、中国でも欧州でも、王が国防の義務を果たせない時は王権が瓦解し、別の者が義務を担うところとなった。
日本の場合、長いこと天皇から軍事権を委託された征夷大将軍が国防と国内治安を担い、それに失敗すると「政権交代」が起きて、他家に軍事権が委譲されるという制度にあった。
幕末に起きたのは、「確かに軍事権は徳川家に委託したものの、外交権まで渡した覚えは無い」という問題で、これが鎖国・開国問題の発端となり、「徳川家に国防は任せられない」となって、勤王・討幕運動に発展していった。最終的には、第二次長州戦争の失敗によって徳川幕府に国内治安を維持する力が無いことが示されたことで、幕府権力の正当性が失われたと見て良い。

戊辰政変によって徳川家は軍事権を返還(大政奉還)、朝廷は軍事権を他者に委託するのを止め、天皇自らが軍事権を行使する制度が発足した。明治帝政である。この時点で、国防の責務は天皇が一身に負うところとなったが、その実際の運用は輔翼者が行い、天皇に対して責任を負い、天皇は責任を負わない(帝国憲法第3条)というのが、明治帝政の法解釈だった。とはいえ、この無答責は国防の責務を負わないことを意味するのでは無く、「輔翼者の失敗の責任について天皇が負うものではない」と解釈するのが妥当だろう。

1945年の敗戦は、昭和天皇が国防義務を果たせず失敗し、300万人以上の臣民を殺害した挙げ句、全植民地の統治権と沖縄等の行政権を失うという結果に終わった。
明治憲法の原理に基づけば、国防に失敗したのはまず輔翼者の責任であり、特に軍部(参謀総長と陸海軍大臣)と外務省(外務大臣)が天皇に対して責任を取らなければならない。ここで重要なのは、「天皇に対して責任を取れば良い」ということであって、臣民・国民・市民は謝罪の対象とはならないということだ。さらに天皇は無答責であるため、敗戦をもたらし、国防義務を果たせなかった輔翼者を任命した責任が問われることは無い。さらに言えば、輔翼者を処罰する法制は存在しない。
そのため明治法制下では、失政の責任を問うシステムが存在せず、日本市民が革命を起こすか、外国勢力による処断を待つことしかできなかった。
連合軍司令部(GHQ)は、日本で共産革命を起こさせないために、同時に休戦条件(ポツダム宣言)を履行するために、敗戦の責任者を自ら処罰するという選択を行う。根源的には、日本政府あるいは国民が自ら処断すべきだったが、明治日本にはその仕組みも概念も無かったため、放置することはできなかっただろう。
そして、アメリカの占領政策の基本的な考え方は、「軍部に戦争の全責任を負わし、天皇制と明治官僚は傀儡として残して、対ソ戦の前進基地となす」というものだった。実際、日本側の強い抵抗と人身御供の精神もあって、極東軍事裁判は軍部を中心にごく一部の「戦犯」が処断されたのみに終わり、民主化の担保となるはずだった公職追放も、講和条約の締結=冷戦勃発の中で解除され、敗戦の責任追及は不完全に終わった。

少し話を戻そう。
明治帝政下では、天皇は、原理的に国防の義務を一身に負っている。そして、その義務を果たすために軍事権と外交権を占有している。
ところが、明治以降、日本が行った戦争あるいは武力行使のうち、明らかに「国防上不可欠」というものは何一つ無かった。日清戦争は朝鮮半島の利権を清国から奪うため、日露戦争は朝鮮と満州の利権を巡るもの、シベリア干渉戦争に至っては沿海州に傀儡政権を打ち立てるためのものだった。日華事変・日中戦争に至っては、誰も何のための戦争か説明できず、太平洋戦争は「半年後に石油が無くなってしまうから、先に叩こう」として始めた戦争だった。
これらの戦争も勝利しているうちは、国防の義務が果たされているとして強弁できるが、敗戦して国土が灰燼に帰し、あまつさえ外国軍によって占領されるとなれば、事情は違ってくる。だが、日本では思想原理が全く未熟だったことも災いし、国防義務を果たさなかったことに対する責任追及の声は高まらず、天皇制がそのまま継続するところとなった。世界史上の奇跡である。
欧州型の政治制度では、王権(行政府)による軍事権と外交権の濫用を防ぐために議会が設置され、監督することになっているが、日本では議会にそうした権限は与えられず(従って情報も提供されない)、むしろ議会がこぞって侵略戦争を支持する構図になってしまったことも不幸だった。これは、制度の原理や意味を考えずに形式だけ真似たことにも起因しており、その弊害は現代にまで及んでいる。

近代共和制は、王が有していた国防の義務は市民が受け持ち、その義務を果たすために全ての市民は国防の義務を負う、同時に全ての市民は主権者である、という原理の上に成り立っている。
戦後日本は、国防の義務を実質的に放棄して国連に丸投げするという画期的すぎる憲法をつくった。これ自体は、天皇の免責を得るために軍そのものを廃止せざるを得なかった日本側の事情も大きく影響している。だからこそ当時は左右ともに憲法を支持して、むしろ共産党が安全保障上の理由と天皇制存続に反対するという、状況が見られたのである。
ところが、冷戦の激化に伴い、アメリカの要請もあって、日本政府は「軍事力では無い実力組織」を再建してしまう。これ自体は、当時の国際情勢と政治情勢を反映したものだったが、戦後憲法制定時に国防の義務を放棄してしまったため、「誰が国防の義務を負うのか」という議論の無いまま、実質的な再軍備が進められてしまった。
現在のところ、自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣で、実質的に統括するのは防衛大臣であるわけだが、恐ろしいことに憲法でも法律でも国防の義務を負っていない。例えば、自衛隊法を見ると、

自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
(自衛隊法第三条)

とあり、任務=職務は書かれているが、国防の義務には触れていない(同時に市民は防衛の対象になっていない)。防衛省設置法も同様だ。
これは法理上どうにもならないことで、日本国憲法第9条で軍事権を放棄してしまった以上、天皇にも国民にも国防の義務を課すことはできなくなっているためだ。
その結果、「自衛隊は憲法9条が否定する軍事力では無い」という解釈改憲論に立脚して、法律上の職務として「防衛省と自衛隊は国防を担う」とする他なくなっている。「誰にも義務もないし、責任も問われないけど、法律上の職務である」というのが、現代日本の国防の立脚点になってしまっている。

現在のところ、自民党を中心に憲法改正の主張が高まっているものの、仮に「自衛隊は憲法9条二項に違背しない」旨を書き加えてみたところで、「国防の義務と責任は誰が負うのか(天皇か国民か)」という大命題は残り続けることになる。そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。
にもかかわらず、国連は機能不全、米軍の撤退は時間の問題、中露韓台とは領土紛争を抱えているという日本の安全保障環境は危機的状況にある。
やはり明治帝政はもはや詰んでいるとしか思えない。


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


ようするに、明治帝政とは「国民など無い。居るのは天皇の奴隷」なのである。


形は変わっても、国民の総意でなく「奴隷の総意」となっているのである。

それが戦後だった。その「奴隷の総意~天皇家の玩具」を日本人に改造する方法として、戦後は中間集団全体主義が、さらに洗練された。

て見える。

>そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。

それを避けるための「憲法9条」だが、それをぶっ壊しているのが、今。

それに疑いを持たないように調教するのにも中間集団全体主義は有効なのである。

おなじく より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
帝権のあり方について

【<陛下>退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」】
 天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。
(5月21日、毎日新聞)

自分は明確な共和主義者なので、帝国や君主のあり方などどうでも良いのだが、ネタとしては取り上げておきたい。まずは帝権に対する古今東西の考え方のおさらいから。

「国を治むるは、樹を栽うるがごとし。本根揺かざれば枝葉茂栄す。君よく清浄ならば、百姓なんぞ安楽ならざるを得んや」(貞観政要)

中国の場合、古来「表では徳治主義、裏では法治主義」が帝権統治の原則だった。君主は人民に対して道徳と礼儀の範を示し、官僚は法律で統治するという考え方である。儒教は徳治主義を旨とするが、現実の統治は徳だけではなせず、法家思想が密教として連綿と受け継がれてきた。
基本的には日本の君主論や帝権論もこの考え方を継承している。

「哲学の教えに基づき、人類を現世的な幸福へと導くものがローマ皇帝である」(ダンテ「帝政論」)

欧州の場合、古来宗教的権威の象徴であるローマ教皇と世俗的権威の象徴であるローマ皇帝の二元代表制を基本とし、ローマ帝国が崩壊した後も、王と教会による二元統治を行っていた。従って、キリスト教会は道徳と倫理の範を示し、王は暴力と法をもって統治するという考え方だったが、そこには常に「愚昧なる人民を善導し、幸福へと導く」という使命感があった。
余談になるが、ルネサンス期におけるカトリックとプロテスタントの対立は、帝権に対する考え方にも及んだ。カトリック側は「教義と教会を守護する帝権」を求めたのに対し、プロテスタント側は「強い帝権によって教会改革を行う」ことを求めた。それが最も苛烈な形になって現出したのが「ドイツ三十年戦争」だった。

欧州の帝権論は、王権神授説に基づいて神から教会を通じて統治の正統なる権利が与えられているが、同時にその使命と責任も明確であり、「人民を善導し、幸福へと導く」使命が果たせない場合は、少なくとも神に対して責任を負わなければならなかった。そして、その使命を果たせず、責任を取ることを拒否した王の末路が、チャールズ1世やルイ16世のそれだった。

これに対し、現代日本では、

「国民と共に歩み、国民に寄り添う」(今上帝)

「祈っているだけでいい」(日本政府)

という2つの帝権論がせめぎ合っている。現代日本の原型は、明治帝政に求められるが、中世から江戸期までの天皇は宗教的権威としてすらごく一部からしか認知されていないような存在で、世俗的権威や実力は皆無だった。だが、封建制度である幕藩体制から近代的国家に生まれ変わるためには、何らかの国民統合の装置が不可欠となり、天皇家が利用されるところとなった。
大政奉還した徳川幕府を暴力によって打ち倒した薩長両藩は、日本全土を支配する正統な権利を有しておらず、統治権は宗教的権威と一体化させて天皇に持たせる他なかった。だが、現実の統治は天皇にはやらせないことにしたため、不具合が生じた。


立法府も行政府も権限が弱い上に分割されており、到底強権を発動させられるような制度にはなっていなかった。
憲法の条文上、これらは協賛や輔弼という立場でしかなく、天皇が大権をもって親政を行うような仕組みになっていたが、現実の3人の帝は誰も専制権を発動しなかった。
聖上は君臨するのみで、下は不安定な分権構造というのが、明治体制の実態だった。
それでも、憲法の解釈上は、美濃部達吉の「天皇機関説」が採られてきたが、これは今風に言えば「解釈改憲」でしかなく、条文を厳密に解釈すれば、上杉慎吉の「天皇主権説」にしかなりようがなかった。

にもかかわらず、日露戦争前後までは一定の政治的主導権(リーダーシップ)が発揮されたのは、憲法にも法律にも規定されていない「元老」が絶大な政治的影響力を有していたためだった。
伊藤博文や山県有朋などの「明治維新の元勲」たちが、巨大な政治的影響力を駆使して、分権化された諸機関や軍を統制し、天皇大権を陰から行使することで(実際には専制権を行使しないまま)、国家を運営していたのである。
しかし、これはあくまで超法規的なシステムであり、元老が死んでしまうと、専制的な明治憲法と分裂的な統治機構だけが残ってしまう。特に軍は、統制する主体がなく、ノーチェックの暴力装置になってしまった。暴走するのは時間の問題だったのだろう。
それは維新の元勲や明治憲法の制定者たちの意図したところではなかったかもしれないが、もはや自分たちではシステムの不具合を修正することも出来なくなっていたのだ。

明治憲法は1条にて天皇に統治権を認めつつ、3条で無答責(免責)を保障する一方、閣僚は天皇の行政権を補佐しつつ、天皇に対してのみ責任を負うことを規定していた。この意味するところは、「天皇は君臨すれども統治せず、権利を代行する者は実質責任を負わなくて良い」というものだった。権力者にとってこれほど都合の良い憲法は無いだろう。

現代に話を戻そう。経済的繁栄と再分配に裏付けられた戦後和解体制が瓦解しつつある中で、天皇制による国民統合力も低下しつつあり、恐らくその危機意識を強く有しているのが平成帝で、だからこそ「国民と共に歩み、国民に寄り添う」スタンスを強く打ち出しているものと思われる。もちろん父である昭和帝に対する批判や意見もあるだろう。

自民党や霞ヶ関官僚がこうした平成帝のスタンスを面白く思わないのは、彼らが国内に「敵」をつくり対立を煽ることで、暴力支配を正当化して治安体制を強化し、貧困と不平等に対する不満を抑制しようという方針を持っているためだ。同時に、自民党と官僚には、一切責任を負う必要が無いことが規定されていた明治憲法に対する強い郷愁がある。これが天皇を元首にするという自民党の改憲案の根幹になっている。

「神輿は軽くてパーが良い」(小沢一郎)

【追記】
退位特例法は、人道上の問題を除外した場合、原則的には「上皇をつくり役割を拡大する」という意味で帝室と帝権を拡張させるものと理解している。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

私が、天皇をどうすべきかというと

「処刑」

しかない。

とわいえ、

「天皇家が天皇・財産・権威を放棄して、日本国籍をとって旧悪をすべて暴露して、財産をすべて国家・国民に返納することで、チャラにする」

てので、「天皇」という「システム」を処刑したら、これがベスト。

それが不可能なら、天皇家ともども、極楽浄土へ、ギロチンで行ってもらうまでですは。



まあ、でも、たぶん、このままいくと、放射能で「ロンメル死」か、本当の処刑しか、残ってないよね。

日本は「天皇」てカルトに侵され、「天皇と一緒に心中」って人しか、セレブ・指導層に居ないのでね。なんせフェミまで潜在的「天皇教徒」ってのが今の日本だし。

悪帝は、奸臣とどもども処刑される。

それが「地球基準」で「自然の摂理」なのだから。


天皇の無い 蒼い空を取り戻そう


お読みくださりありがとうございます。



スポンサーサイト



<< 今は、行政府も大本営発表。そりゃ、同じ人食いの手下ですから。 | ホーム | 檄に応じて。 >>

コメント

コメントの投稿

URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 

 ホーム