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現代オンライン より

上記文抜粋
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日本社会は「巨大な中学校」のよう…コロナ危機で克服すべき3つのこと

だからこの国は衰退の一途をたどってきた


日本社会を根本的に組み換える

新型コロナウィルスは、放置すると社会に大量死をもたらす可能性が大きい。それは、いわば、そうしなければものすごい数の人が死ぬぞという恐怖によって、人々の行動様式と社会を変えることを要求している。

すなわち、感染を避けるために、人と人が肉体的に接触するのを避ける。非接触というしかたで産業や公共サービスをたちあげる。非接触の原理で社会を組み立てなおす。

それに対し筆者は次のことを提言する。

新型コロナが強いる非接触の原理による社会の組立てなおしを、これから述べる(1)経済縮小(2)低い生産性(3)中間集団全体主義の3つを克服して望ましい日本社会をつくりあげるための、社会システムの根本的な組み換えに転化する。

以下で詳しく説明しよう。

新型コロナウィルスが出現するまでのこれまでの日本社会は、どのような状況であったか。

日本の経済は驚くほど小さくなっている。世界の富のなかで、それぞれの国が占める率をみると、日本の富は縮小の一途をたどっている。


IT化、グローバル化などで、世界の産業と経済は大きく変わった。どのようにすれば収益があがるかという様式が変わった。それにもかかわらず、日本は変わることができなかったのだ。

日本の時間あたりの生産性は、OECD36カ国中21位(下資料図8)、主要先進7カ国中の最下位(下資料図9)だ。

さらに近年貧困がひろがってきた。子どもの貧困率はすさまじく、日本はもはや先進国とはいえないといってもよい状態になってきていた。

新型コロナウィルスが現れなくても、日本は破滅の坂をころがっていた。それにもかかわらず、ゆでがえるのように、何も変えようとしてこなかった。

それでは、貧乏になっても人が幸せに暮らす社会であったか。そうではない。

日本社会=「大きな中学校」
日本は1945年、アメリカとの無謀な戦争に完敗することによって、全体主義国家であることをやめた。日本国憲法のもと、国のレベルでは、自由な社会の体裁を整えてきた(近年それが破壊されつつある。詳しくは『世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる』を参照されたい)。

だが、戦後の日本社会は、学校と会社を基体とする中間集団全体主義社会になった(中間集団全体主義について詳しくは拙著『いじめの構造』を参照されたい)。他の先進諸国の人々が目撃すれば「狂っている」と思うような人格支配が学校と会社の「あたりまえ」の常態になった。人間存在は深いところから集団のモノでなければならないという生き方が、学校と会社の日常生活のなかで細かく強制されてきた。

学校については、筆者が講談社現代ビジネスの論考で何回も書いてきたとおりである。企業が従業員の人格・態度・感情まで企業のものにしようとする支配は、小学校や中学校と同様のものである。日本は社会全体が、いわば「大きな中学校」なのである。

このような日本社会のあり方は、独特の奴隷的な心理生活を一人一人に運命として強いるものであり、改善は困難であった。


経済の縮小、低い生産性、人間を魂の深いところから会社と学校の従属物にする中間集団全体主義という3点セットは、不可分にむすびついて、日本の社会と人々に呪いをかけてきたといってもよい。

日本の雇用はワーク型ではなくメンバーシップ型と言われている。そこでは、次のような現実感覚がつらぬき通されている。すなわち、

良い商品や良いサービスを市場に提供して収益を上げることよりも、ひとりひとりの社員が、人格の深いところから会社のメンバーとして染め上げられた会社のモノであることを、仲間内で示しあう努力(そのようなフリをする精神的な売春に耐えること)が働くことである

という現実感覚である。つまり、多くの「企業人」にとって中学校の集団生活ごっこをすることが働くことなのである。

それはちょうど、長時間一定の姿勢で座り、センセイの話を右の耳から左の耳に通してノートに字を書くことが英語や数学を学習することである、と誤認する習慣を、学校生徒が身につけるようなことである。

これは「生徒らしく」することであって、英語や数学を学習することではないにもかかわらず、本人は学習していると認識してしまう。

結果、朝から夕方まで学校で授業を受け、さらに塾にまで行っても、英語や数学がろくにできない無能が身につく。彼らが身につけているのは、学校の生徒らしい生徒であるというメンバーシップであって、英語や数学ではないのである。

このように中学生が授業を受ければ受けるほど無能になるのと同様、メンバーシップ型雇用で会社員になった人々は、無駄に集まり、無駄にベタベタさせられ、みんなで会社のメンバーらしいふるまいをし合うことをもって仕事をすることであると誤認する。

良い製品やサービスを市場に提供する苦労ではなく、会社のなかの人間関係を気にする不安が、最大の仕事上の苦労になる。これでは主要先進7カ国中、生産性が最下位になるのも当然である。

長時間会社で中学校の部活のように過ごし、無駄に集まる人間関係が仕事の主要部分を占める。これが学校と会社の奴隷となった日本人の不幸であり、経済的非効率の元凶であり、わたしたち大人を貧乏な中学生におとしめる原因なのである。

「なめるなよ、54のおっさんを!」
【事例1】

パナソニック産機システムズの人事課長が内定者にSNSでハラスメントを加え、自殺に追い込んだ。

人事課長は書き込みが少ないといった理由で内定者をSNSから排除したり、「無理なら辞退してください、邪魔です」などと内定辞退に言及したりしたほか、「ギアチェンジ研修は血みどろになるぐらいに自己開示が強制され、4月は毎晩終電までほぼ全員が話し込む文化がある」などと入社後の過重労働を示唆したりしていたという。(「朝日新聞デジタル」2020年4月9日付記事、2020年4月17日入手)

上記「朝日新聞デジタル」中の写真(「人事課長による内定者SNSサイトへの書き込みの文面(遺族代理人提供)」)には、次のような人事課長の言葉があった。

サイトやってないような奴は、丸坊主にでもして、反省を示すか?
僕も人間です。感情はあるよ。
僕は徹底して、露骨にエコ贔屓するからね。
なめるなよ、54のおっさんを!
決して人格者ではないよ。
嘘つく奴は許せないんだ。

会社員が「社畜(会社の家畜)」と呼ばれる日本企業では、このようなことはえんえんと繰り返されてきた。他の先進諸国からは気が狂っていると思われるようなことではあるが、会社が従業員を人格のところから会社の色に染め上げようとするのは、日本社会ではありふれた光景である。

ここで着目すべきは、パナソニック産機システムズは産業機械の会社であるにもかかわらず、報じられた人事課長によるハラスメント言動のなかに「機械」のキの字も出てこないことである。

「過重労働を示唆した」と報じられる「過重労働」の中身は、自分や自分の心について、徹底的に告白させられるとか、「お話し会」を延々とやらされるといったことであって、機械を扱う本物の労働ではない。被害者を自殺に追い込むまで過重だったのは、労働ではなく、他人から心をいじくりまわされる奴隷ごっこである。

もちろん、研修に多大な費用をかけてこんなことをさせても、企業の収益にはならない。新入社員を会社の色に染め上げる奴隷ごっこに熱中しているだけである。日本企業の生産性が低いのは、こういうことをしているからである。


強制的な「へつらいなかよし」体質
【事例2】

ある産業機器メーカーの若い社員A氏はきわめて優秀で、営業では売り上げナンバーワンを記録した。機械についての試験でもトップ成績である。要するに会社にとっては、仕事ができる有望社員である。彼は、入社後、下品な上司と飲みに付き合い、仕事と関係のない無駄話にえんえんと付き合わされるのが拷問のように苦痛であった。

とくに性的な接待が嫌いなA氏は、「おやじたち」のキャバクラに付き合わされるのが最も苦痛であった(「気持ち悪くて吐きそうになる」)。無能な支店長は、会社の経費で飲み食いやキャバクラ遊びを楽しみたい。内心いやがっている部下たちをひきつれて飲み歩くことを強制した。支店長はそれを部下の教育と称していた。

本社の幹部たちは効率的な経営をめざしていたが、地方支店の非効率は著しかった。顧客と飲みに行ってなれあうのが、営業スタイルになっていた。

A氏は、飲みの集まりではなく、機械についての要点をわかりやすく説明する、顧客ニーズにあわせたセミナーを有料で行うスタイルをつくり、会社でトップの営業成績をだした。顧客も、だらだらと集まって酒を飲むよりも、収益につながる機械の活用法を知り、適正な価格で購入し、個別の事情に応じた運用への道筋をつけたかった。

A氏以外にも優秀な若手が高い営業成績を上げることがあったが、上司にいじめられて会社をやめた。A氏は、だんだん支店長から毎日のように罵倒され、とげとげしい言葉を浴びるようになった。A氏の妻が妊娠し子どもが生まれる時期には、支店長は「流産する」といった言葉をA氏に浴びせることすらあった。

A氏は会社の幹部にそのことを話した。

幹部たちは、支店長を二度と浮かび上がれないような左遷コースに落とした。会社は、これまでの古い体質を改善しようとしている時期にあった。何十年か勤めた支店長を切り、有能な若手社員のA氏の方を選んだ。

支店長は、幹部たちにとがめられたとき、A氏のためを思って、A氏を社員として教育しようとしていたといいわけをした。そのようないいわけは通じなかった。
A氏はなんとか生き延びたが、A氏以外の有能で高い営業成績をのこした何人かの若手社員たちは、無能な上司に対するへつらいや極めて不快な人間関係を要求する圧力に屈して会社をやめた。会社に収益をもたらす優秀な若手ほど会社をやめるのだ。

このようなメンバーシップ型雇用の、上司を中心とした強制的な「へつらいなかよし」体質が会社の非効率と収益の低さをもたらしていた。

だから日本は衰退してきた
【事例1】で見た奴隷ごっこの研修費用も、【事例2】で見た飲み屋やキャバクラの費用も、企業の経費である。その分は商品やサービスの価格に上乗せされる。つまり、市場に提供する製品やサービスが割高になる。

企業の側から言えば、商品が割高になれば市場での競争で不利になる。不利な状況が続けば企業は存続できない。

また、顧客の側から言えば、割高の商品を買わされていることになる。顧客が企業である場合、会社の購入担当者が飲み屋やキャバクラで接待されるよりも、その分商品の価格を下げてコストカットをしたいと思う。

もし購入担当者が飲み屋やキャバクラでの接待目当てに割高の商品を仕入れたとしたら、それは不正行為であり、処分の対象になる。また、そのような商慣行が蔓延する社会は腐敗した社会であり、生産性が下がり、その国の経済はうまくまわらなくなる。貧しい国々はこの腐敗に苦しんでいる。

さらに言えば、仕入れ先企業の奴隷ごっこ研修の費用が上乗せされて割高になった商品など、購入したくないはずである。洗脳研修を受けた社員が涙や鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらプライベートなことを告白させられる姿を想像してみれば、このおぞましい奴隷あそびを実施する経費のおかげで割高になった商品を買わされるのは、嫌であろう。

飲み屋やキャバクラ、奴隷あそび研修、無意味な会議など、ワタシは会社に身を捧げていますというフリをするために人が集まる精神的売春のための経費は、すべて商品価格に上乗せされ、あたかも消費税が5パーセントから40パーセントに引き上げられるのと同様の、ひどい経済減速効果をもたらす。

良い製品やサービスを市場に提供して収益をあげるという本物の仕事ではなく、仲間内で会社のメンバーらしいメンバーであるフリをしあう精神的売春の労苦に耐えることを働くことであると共同誤認する習慣は、企業を生産の場というよりも人間関係の政治の場にしてしまう。そうすると派閥や属人主義という企業にとって破壊的な要素が大きくなる。

IT技術がこれまで人間が行ってきた業務にとって代わり、産業と経済の変化は世界規模で加速している。社会全体が「大きな中学校」のようにできている日本は、変わることができずに衰退の一途をたどってきた。

社会が硬直してしまって動けないしくみの一つに、日本独特の「規制」と呼ばれるしくみがある。


人命よりも「規制」が重要…?
【事例3】

新型コロナに対して世界の代表的な企業が(異業種であっても)医療機器を生産するよう動いているなか、経団連の中西宏明会長は「規制があるので、異業種がすぐに生産できるものではない」と述べた(「時事ドットコム」2020年4月14日付記事、2020年4月18日入手

たとえ人がどれだけ死んでも、規制は動かしませんと言っているかのようだ。この不合理について考えてみよう。中西会長の発言は、このままでは医療機材が不足して人が大量に死ぬかもしれないというときに、100点満点の95点のものしか出してはいけません。75点のものは不可ですと言っているようなものだ。

大日本帝国とアメリカが戦争をしている時にもこういうことがあった。零戦は繊細な名人芸が必要な95点の芸術品であった。少数しか生産できないし、パイロットの訓練もむずかしい。それに対し、アメリカは操縦しやすい75点のハイパワー戦闘機を大量生産した。当然、アメリカの勝ちである。

中西会長は、「規制」という言葉で、たとえどれだけ人が死んでも、75点の医療機器を生産してはいけない、95点の医療機器でなければダメです、と言っているのだ。

筆者は、その裏にはさまざまな業界の慣習や利害関係がからまっているのではないかと勘ぐってしまうが、それを知る手立てはない。ただこの発言は、新型コロナによる大量死が予測される状況下では、人命を軽視し、人命よりも「規制」なるものを重視していると解されてもしかたがない類のものだ。

新型コロナが発生してもしなくても、もともと、社会システムを変えなければならなかった。そこに、新型コロナが発生した。社会システムを変えなければ多くの人が死ぬという事態が突きつけられた。

よく考えてみよう。

もう一度戦争の例を出す。戦争に負けても負けなくても、極端に貧しい小作人と地主というシステムは変えなければならなかった。社会が硬直していてそれができなかった。女性参政権も必要だった。

もちろん、戦争に負けるような悲惨はないほうがよいに決まっている。しかし戦争に負けたマイナスに付随するプラスは進めるべきだ。貧乏な小作人が娘を身売りすることがなくなり、女性が参政権を得たのは、戦争でアメリカに負けたおかげだ。戦争に負けさえしなければ、このような善いことは決して起きなかった。

これと同じことが、新型コロナについても言える。

新型コロナという悲惨に対する対処は、同時に、生産性をたかめるしくみづくりになる。人が接触できなくなることは、人間が会社と学校の奴隷になる中間集団全体主義をやめさせることにもなる。

さまざまな工夫(イノベーション)を試してみれば、今まで、やらなくてもよい多くの無駄をやらなければならないと誤認してきたのだ、ということを人々はいやというほど発見するだろう。

新型コロナ対策は、さまざまな経済活動や教育活動のIT技術による置き換えを加速し、このことによって生産性を飛躍的に高めることができる。

新型コロナによる危機が新しいイノベーションを生み出す。危機が去ったとき、私たちはウィルスとのたたかいのなかで、日本の経済をよみがえらせていたことに気づくだろう。また、私たちは、会社と学校の奴隷でなくなっていることに気づくだろう。

筆者はここで以下の提言をする。

新型コロナ対策によって強いられること、つまり社会を新型コロナウィルスに適応させるための構造の組み換えを、日本経済の縮小、低い生産性、人間を魂の深いところから会社と学校の従属物にする中間集団全体主義という3点セットの呪いを克服する、より深いところからの社会システムの変革に転化しよう。

(生活の保障について補足しよう。上記社会変革に際しては、生活の保障は絶対的に必要である。それは手術をするときの麻酔のようなものである。麻酔を一定時間している間にいそいで手術をするように、手厚い生活保障を一定期間しているあいだに急いで社会の構造変革をするのだ。社会システムの構造転換と生活保障は、車の両輪のように必要である)




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抜粋おわり


お読みくださりありがとうございます。

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